月別アーカイブ: 2014年10月

姿勢による筋肉診断

筋肉診断テスト

 

当てはまるものに○をして下さい。

 

1 壁を背にして立ち背中をつけた際に、

頭、肩、腰のすべてがつけられない。

 

2 仰向けに寝て万歳をして、

両手が床につけられない。

 

3 仰向けに寝て脱力した状態で、

両足の外側が床に着いてしまう。

 

4 真っ直ぐ立った状態で両膝がつかない。

 

5 両膝はつくが、ふくらはぎ同士はつかない。

 

6 外反母趾がある。

 

7 土踏まずがない。

 

8 なで肩である。

 

9 猫背である。

 

10 お腹が出て、お尻が垂れている。

 

以上。

○の数が、
0〜2つ……20歳代
3〜4つ……30歳代
5〜6つ……40歳代
7〜8つ……50歳代
9つ以上…‥60歳代

 

 

皆さん、結果はいかがでしたか?
この手の筋肉診断テストは、

いろいろな方法が紹介されていると思います。
参考程度に確認してみて下さい。

 
何れにしても、筋肉が衰えると先ず「姿勢」が悪くなり、

関節の「柔軟性」が失われます。

 
という訳で、運動をする際には

先ずは筋肉をストレッチしてから、筋トレをする。
そして、筋トレをすれば必ずストレッチをする。
ということを念頭において運動して下さい。

 

ストレッチと筋トレを組み合わせることで、

より効率的に筋肉を鍛えることが出来ます。
それと、「対になる筋肉」(拮抗筋)を鍛えれば、

更に効果的です。

じっくり鍛える。

中高年を過ぎてからの筋肉を鍛える目的は、

ずばり「健康」になる為…です。

 
筋肉を鍛えることによって
・姿勢が良くなる。
・血行が良くなる。
・代謝が良くなる。

 
そして、正しい姿勢を取ることによって

内臓下垂が改善されたり、

関節にかかる負担が軽減されたりします。

 
関節の柔軟性が増して、

自分のイメージしている動きが、取りやすくなります。
自分では上がっている積もりの足が、

何でも無い処でつまづいて
転けてしまう…なんて事が無くなります。

 
そう、目指すは「使える筋肉」です。

 
何もこの年齢になって、

ゴリゴリに筋肉を鍛えて、オリンピックを目指したり、

ボディビルダーのようなムキムキな肉体に

改造しようという訳では無いはず…です。
(もし、そっち系ならそれなりの方法はありますが…。)

 
基本は、普段の日常生活を快適に過ごすことが出来る事…。
が目標というか、目的になります。

 
その為には先ず、毎日無理無く続けられること。
そして、ケガや故障しないこと。
この2点が、中高年からの筋肉の鍛え方の重要なポイントになります。

 
そこで、筋トレをする際のポイントは、

「動きのスピード」です。
速いスピードの動きには、

速筋が反応してしまいます。
出来るだけゆっくり行うことで、

遅筋に効果的な刺激を与えること…。
これが重要なポイントとなります。

 
その為にマシーンを使ったトレーニングは行ないません。

マシーントレーニングでは主に速筋が動員される為に、

筋肉が故障する可能性

(腰を痛めたり、膝を悪くしたり)が高くなるのです。

 
先ずは、じっくりゆっくり鍛えて行きましょう。

 
※次回からは、

正しく立ったり歩いたりするために必要な筋肉に

焦点を当てて鍛えるプログラムを書いていきます。

中高年からの筋肉の鍛え方

40代からは、意識して筋肉を鍛えていく必要があります。
しかし、急激に、またやみくもに鍛えたのでは、

却って「故障」や「痛み」を引き起こしかねません。

 
膝や腰などの関節の痛みの原因は、

急激に強い刺激を受けて、

関節を支持する筋肉が壊されてしまう為。

と考えられています。

 

 
実は、一口に筋肉と言っても

壊れやすいものと、そうでないものの2種類があります。

 
一つは太くて大きな筋肉=速筋
もう一つは、ゆっくりと収縮する小さな筋肉=遅筋

 
速筋は、
・筋線維は大きい
・筋肉はすばやく収縮する
・身体の表面近くに多い
・瞬発力に優れている
・疲れやすい
・ケガをしやすい
・筋肉がモリモリになりやすい

 
遅筋は、
・筋線維は小さい
・筋肉はゆっくり収縮する
・身体の奥に多い
・持久力に優れている
・疲れにくい
・ケガしにくい
・筋肉がモリモリになりにくい

 
といった特徴があります。

 
また2つの筋肉は、その主なエネルギー源も異なります。

 
速筋は内部に元々、糖質を蓄えていて、

これを瞬間的にエネルギーに変えて使います。
重い物を一気に持ち上げる時などに、

このエネルギー回路が使われます。

 
一方の遅筋は、酸素を取り込みながら糖質や脂質を

エネルギーに変えて利用している筋肉です。
ウォーキングやジョギングなどのエネルギー回路がこれです。

 
これだけだと一見、速筋のほうが効率が良さそうに感じられます。
ところが、速筋には糖質をエネルギーに変換する際に、

同時に作られる乳酸という「疲労物質」が溜まりやすいのです。

 
また、柔軟性も遅筋に比べて劣るために、

疲れやすくケガをしやすい…というデメリットもあります。

 
以上、それぞれの筋肉の特性を踏まえた上で、

次回から具体的な中高年からの筋肉の鍛え方を

書いていきたいと思います。

筋肉を鍛えないと…。

筋肉は年齢では無く、「生活習慣」に左右されます。

 
病気や怪我などで、1週間入院するだけで

筋力は劇的に衰えます。
寝たきりになると、それ以後、

筋力は一日に約5%ずつ低下していくと言われています。

 
筋肉が衰えることによって、

やがていろいろな「トラブル」が起きてきます。

 
まず、姿勢が悪くなる。
その結果生じるのが、「肩凝り」や「腰痛」など…。

 
また二足歩行の人間が、真っすぐ立って歩くために

必要不可欠なのが、お尻のところにある

「大臀筋」という筋肉です。

 
この筋肉が細くなって衰えてしまうと、

きちんと立てなくなります。

 
そうなると先ず、骨盤の角度が前傾し過ぎてしまい、

それをカバーする為に背骨が曲がり、

肋骨や首が前に出てきます。

 
真っすぐ立てないので

バランスを取ろうとして膝も曲がります。
いわゆる、腰や背中が丸くなった

「お年寄り」の姿勢になっていきます。

 

 

姿勢が悪くなれば、立っているだけで疲れてしまい、

身体を動かすことが億劫になります。
すると、ますます筋肉は衰えていき、

更に無理な姿勢になる。
という悪循環に…。

 
また、筋肉が縮んだままだと、

乳酸などの「疲労物質」が

どんどん筋肉内に蓄積されてしまいます。

 
すると、新鮮な酸素や糖質が

血液中に供給されにくくなり、その結果、

さまざまな代謝が悪くなるというデメリットもあります。

 
実際にこうした筋肉の「急激な衰え」というのは

70歳前後からと言われています。

 
しかし、その「前兆」は

30代、40代からすでに表れてきています。

 
筋力のピークは20代半ば。
何の運動もしなければ、それ以降は下降し、

30代で衰えを自覚し始めます。

 
ですから、40代でどうアクションを起こすか…。
これが 非常に重要なポイントとなってきます。

 
続きます。

筋肉の鍛え方

10月から11月に掛けてのこの時期。
暑くも無く、寒くも無く一年中で

一番過ごしやすい季節です。
スポーツの秋、行楽の秋。

歩いたり、走ったり…。

 
普段、運動には無関係な方も、

何かと身体を動かしてみたい衝動に駆られたりします。

 
でも、その前に…。
ちょっとだけ、筋肉についてお勉強しておきましょう。

 
40代を過ぎると、年齢とともにお肌が衰えていくように、

加齢によって筋肉が落ちていくのも仕方の無い事、

と思われがちです。

 
しかし、実はそうではありません。

 
筋肉は「筋繊維」という細胞が幾つか集まって出来ています。
この筋繊維の「数」は、基本的に生まれてから死ぬまでの間、
大きく変化することはありません。

 
他の体細胞と比べてみると、

例えば、脳細胞などは3歳をピークにどんどん減っていきます。
免疫細胞は、25歳以降やはり減少していきます。

 
加齢と共に、物忘れがひどくなったり、

病気に罹りやすくなるのもそのせいです。

 
それに比べて、筋繊維はほとんど減らない…。

つまり、筋肉を構成する細胞の「量」は、

年齢に左右されません。

 
と言うことは、

若い頃に鍛えた筋肉は衰えること無く、

その後もずっと維持され続けている…
はずです。

 
が、実際はそうではありません。

 
昔は出来た腹筋運動も、今では全然出来ないし、

陸上部で鍛えた健脚も気持ちばかりで、もつれ気味です。

ジャンプなんてトンデモ無いし、

直ぐに息が上がってしまいます。

 
これは、一体どうしたことでしょうか?

 
それは、筋肉の「数や量」では無くて、

筋肉の「大きさ、太さ」に関係しています。
つまり、筋繊維の一本一本が細くなってしまっている…。
という訳です。

 
よく使う筋肉はその運動量に応じて、

収縮と弛緩を繰り返します。

その繰り返しによって太さと大きさを増していきます。

 
逆に何もしないで「刺激」を与えないと、

筋肉は痩せて細くなり、さらには筋繊維同士がくっついて

縮んだまま元に戻らない状態になってしまいます。

 
細胞の数は減らないが、一つ一つは細く縮んでいく。
その為に、昔鍛えていてもその後、

運動の習慣が無ければ「筋力」は落ちていく一方…。
となります。

 
では、如何すれば良いのでしょうか?

 
そりゃあもう、分かり切ったことですが…。

 
続きます。

もったいない

ある程度の年配の方に話を伺うと、

「私達ぐらいの年齢になると、今の若い人達みたいに

「もったいなくて」何でも物を捨てる事は、出来ません。

戦争を経験してるから、いつかまた使う事が

あるかもしれないと思って、取っています。」と、

殆どの方が異口同音に仰います。

 
でも申し訳無いのですが、その
「いつか」は、いつ遣ってくるのでしょうか?

 
それと、「もったいない」のでしまって置く。
というのもちょっと違う感じがします。

 
「勿体無い」
漢字で書くとこう為ります。

 
略字なので、正確に書くと「物体無い」となります。

 
国語辞典などで意味を調べると、

「勿体」を無しで否定した語。

勿体の「重々しさ」「威厳さ」などの意味から

勿体無いは、

物の本来在るべき姿が無くなるのを惜しみ、

嘆く気持ちを表している。
と書いてあります。

 
「物の本来在るべき姿」
物は本来、その用途に応じて

「使われて」こそ価値の在るもの。のはずです。

 
それに「物体無い」は本来、仏教用語で、

「物体無し、仏身在り。」から来ていると言われています。

 
今あなたの目の前にあるその箪笥は、

ただ単なる「物体(ぶったい)」ではありません。

そこには、仏様が宿っているのです。
という訳です。

 
仏様と言えば語弊が有れば、

それを「生命(いのち)」と言い換えても良いと思います。

 
鉛筆で有ろうが、お茶碗で有ろうが、

どんな「物」でも等しく「生命」が宿っているのですよ。
だから、その命を大切に活かしてあげましょう。
というのが、本来の「物体無い」の意味だと思います。

 
エコだの、リサイクルだのと言うのとは、

ちょっと違うように思います。

 
ですから、その生命を精一杯活かす為にも、

「物」は仕舞いこまずに使ってあげて下さい。

 
もし必要で無い物ならば、

何処か別の場所で活かされるようにしてあげて下さい。

 
それでも、どうし様も無い。
でも、捨てるには忍びない。
そんな場合は、捨てるのでは無くて

「成仏為せて」あげると考えたら、どうでしょうか?

 
「今まで有難う。」と言って供養するつもりで手放す。

 

何せ、「飼い殺し」ほど

「物」に取って残酷な事はありませんから…。

 
それこそ「物体無い」…です。

片付ける(断捨離)

台風19号が通り過ぎて、昨日あたりから

一気に気温が下がり、急に秋めいて来ました。
昼間と朝晩の寒暖の差が大きく、

なかなか体調管理も難しくなっています。
風邪を引かれたり、アレルギー症状が発症されている方も

多く見受けられます。

 
気象病で、気圧の変化(特に低気圧)について、

以前このブログでも取り上げましたが、

また気温の変化に関しても書いていきたいと思います。

 

 
10月1日が一応、衣替えの日では有ったのですが、

気温が一定せずに、お布団や衣類の出し入れが片付かずに

そのままだった方も多いと思います。

 
患者さんの中でも衣替えに限らず、

最近流行りの「断捨離」で、

家の中や持ち物を整理しようと

頑張ってられる方もいらっしゃいます。

 
「終活」では無いのですが、

そろそろ身辺整理を…と考えられての行動。

という方もおられます。

 
でも、皆さん一様に

「しんどい。クタクタや。」と愚痴をこぼされます。

 
なかなか思い切れない。
踏ん切りが付かない。

 
それはそうだと思います。
思い切るとは、色々な「思い」を断ち切ることですから。

 
「思い出」が詰まった品々。
思い出は、重いで〜。(ひどい洒落です。)

 
そして、踏ん切る(糞切る)には、

決断(ケツ断)力が必要です。(これも、ひどい洒落。)

 
「片付ける」って、文字通り今までの生活、

大袈裟に言えば「人生」に

「カタをつける」行為になるわけですよね。

 
これ迄の歩みを改めて振り返って

必要な物、必要で無い物を選り分けて行くって

本当に骨の折れる作業だと思います。

 
でも、肩や背中にずっしりと懸かった「重い」を

少しでも軽くする為にも「断捨離」。

 
この衣替えの時期に「ついでに」、

思い切って片付けてみてはいかがでしょうか?

備えあれば…。

3連休の最終日に台風19号が日本列島を一気に駆け抜けました。

杏林堂の在る芦屋市内は、断続的に強い風が吹いたものの、

特に目立った被害は無かった模様です。

 
皆様のところでは、如何だったでしょうか?

 
2週連続での台風上陸は10年振りだったそうで、

今年は本当に不順な気候がずっと続いています。

 
広島での土砂災害や御嶽山の噴火など、

思いも掛けない自然災害の発生もあってか、

今回の台風上陸に際しては各自治体の非難勧告の発令もそうですが、
関西圏のJR線の運休も早々と決定されました。

 
百貨店やショッピングセンターなども夕方4時迄には、

ほとんどのお店がシャッターを降ろしていました。

 
3連休も相まってこの時期、

行楽や行事などのイベント事が、目白押し。
そんな中での、延期や中止や前倒しなど、

決断にはなかなか勇気が必要だったと思われます。

 
今回などは終わってみれば、

そこ迄する必要は無かったんじゃないの?という感は、

無くは無いのですが、本当に何かあった場合には、

取り返しの付かない結果に為る事を思えば、

まぁ何事も無くて良かったね。

と大きな心で捉えましょう。

 
何事も「備えあれば憂いなし。」

 
それは、身体(健康面)についても同様です。
自然災害と同じで、

少しでも「おかしいな」というサイン(前兆)を感じたら、

一刻も早く医療機関に受診されて、

検査なり検診を受けておくべきだと思います。

 

 

検査の結果、何事も無ければそれで安心ですし、

放置してそれこそ取り返しの付かないことに為るより、

よっぽどマシです。

 
まぁ、それよりも日頃の健康管理、

養生の方が大切ではあるのですが…。

 
漢方(東洋医学)には、「未病」という考え方もあります。

 
それについては、また改めて説明して行きたいと思います。

覚るを悟る。

院長先生から宿題を出されてから約20年。
あれから、片時も忘れること無く答えを求め続けた日々…。

 
なんてことは全く無く、完全にその場限り…でした。
その意味を深く掘り下げて考えることすら、ありませんでした。

 
しかし、ブログを書き始めて「すべての人生は、実験だ。」
なんて言っていたら、ふっと思い出したものでした。

 
数多くの方と接し、施術を通して

その方の人生に多少なりとも関わらせて頂きました。
そして、其処からいろいろなことを学ばせて頂きました。

 
「覚るを悟る。」
院長先生が、伝えたかったのは

何となくこんな感じではなかったのかなぁと

最近思うようになりました。

 
それは、
生まれたばかりの赤ちゃんや、純真無垢な子供達。
それに、犬や猫なんかの動物たちや、

花や樹木などの植物。
皆んな、大自然に抱かれて育まれています。

 
私達、大人の人間よりもある意味、

自然の摂理や、宇宙の真理といったものに近い存在。
と言えるかもしれません。

 
「覚る」:宇宙の真理を直観的に気付く。

 
もしかしたら、動物や、植物や赤ちゃんなんかは、
生まれながらに覚りを得ているのかもしれません。

 
でも、自分が覚っている事実を知りません。
比較するものが無いので、

それが「覚り」の状態かどうか気付きようが無い。
と言った方が正しいのかもしれません。

 
そんな状態から、私達は皆んな成長し、

良いことも悪いことも、楽しいことも苦しいことも、
いろいろな経験を積み、

時には怪我をしたり、病に倒れたりしながら、

思考を巡らせ感情をコントロールする術を学びます。

 
幸せになる為に。
人生を願い通りに…では、無くて思い通りに生きる為に。
日々、逡巡するのです。

 
そしてある時、ふっと気づきます。
こう考えれば良いじゃあ無いか…と。

 
それが「悟り」です。
経験によって知識を身に付けて自ら理解する。気付く。

 
そして、その気付いた事柄は?
「へえー。そうだったのか‼」
では無くて
「何だ。そういうことか。」
ということばかりです。

 
昔から知っているし、よく聞いてもいた。
そんな単純で簡単なことだったんだ。
そんな感じだと思います。

 
何せ、生まれながらに皆んな備わっている感覚ですから。

 
「覚るを悟る。」
天から与えられた資質を経験しながら学び、自らのものと為る。

 
人生とは、いわば「覚るを悟る。」為の壮大な実験の場。
なのかもしれません。

 

 

これが、「宿題」の答えかどうかは、分かりませんが、
何となく自分なりに「腑に落ちる」感じがします。

 
でも案外、20年後にはまた別の「悟り」を得て、

正に「心眼を開いた。」と言っているかもしれませんが…。

覚悟を決める。

「潔くある為に必要なものは何か?」

 
院長先生は、こう続けられました。
「それは、覚悟だよ。」

 
「そう言われると、皆んな「なぁんだ。」と思うだろう。

潔さと覚悟を決めることって、何となく似通った感じがするからな。」

 
「じゃあ、改めて「覚悟」とはどんな意味なのか。

皆んな解るかい?」

 
「覚悟の「覚」は、覚り(さとり)で、「悟」も悟り(さとり)。
つまりは、ダブルのさとりってことだな。」

 
「でも、覚りと悟り。この違いは、解るかい?」

 
「覚りの方は、感覚の「覚」で、いわば感覚的に理解する。
直観的に気づきを得る。ということだ。」

 
「悟りの方は、経験によって知識を身に付ける。

いわば、智恵による気づき。」

 
「また、覚には宇宙の真理を覚る。

自分以外の世界の成り立ちを知る。という意味もある。」

 
「つまり「覚」は、直観的に宇宙の真理を覚る。と為る。」

 
「かたや「悟」は、吾(われ)という文字が表すように、

自分自身のことを悟る。自分自らが悟る。と為る。」

 
「これ等を全部合わせて考えると、

覚悟とは、世の中の成り立ちを知って、

自分がどうするのかを自ら決めること…。だと言える。」

 
「よく人間は、覚悟するだの、覚悟を決めるだのって、

簡単に口によるけれど、本来は其処に

「気づき」や、「さとり」といったものが無いと

空回りしてるのと同じことだ。」

 
「本当の意味で、覚悟が決まった人の行い、

生きざまは清々しくも潔い。と言えるだろう。」

 
「男らしさは、潔さ。なんてさっき話をしていたが、

これは何も男だけに限ったことじゃあ無いなあ。」

 
「少し長くなったが、覚悟の意味。分かったかな?」

 
「ああっ、そうだ。もう一つ
大切な意味があったのを忘れていたよ。

いや、これは今言わない方が良いだろう。

自分で気づく、いわば悟り。
つまり、宿題だな。
まあ、ヒントだけ。

「覚るを悟る。」ということで、

今日はお開きにしようか。」

 
「ええ〜。そんなぁ。」

続きます。