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備えあれば…。

3連休の最終日に台風19号が日本列島を一気に駆け抜けました。

杏林堂の在る芦屋市内は、断続的に強い風が吹いたものの、

特に目立った被害は無かった模様です。

 
皆様のところでは、如何だったでしょうか?

 
2週連続での台風上陸は10年振りだったそうで、

今年は本当に不順な気候がずっと続いています。

 
広島での土砂災害や御嶽山の噴火など、

思いも掛けない自然災害の発生もあってか、

今回の台風上陸に際しては各自治体の非難勧告の発令もそうですが、
関西圏のJR線の運休も早々と決定されました。

 
百貨店やショッピングセンターなども夕方4時迄には、

ほとんどのお店がシャッターを降ろしていました。

 
3連休も相まってこの時期、

行楽や行事などのイベント事が、目白押し。
そんな中での、延期や中止や前倒しなど、

決断にはなかなか勇気が必要だったと思われます。

 
今回などは終わってみれば、

そこ迄する必要は無かったんじゃないの?という感は、

無くは無いのですが、本当に何かあった場合には、

取り返しの付かない結果に為る事を思えば、

まぁ何事も無くて良かったね。

と大きな心で捉えましょう。

 
何事も「備えあれば憂いなし。」

 
それは、身体(健康面)についても同様です。
自然災害と同じで、

少しでも「おかしいな」というサイン(前兆)を感じたら、

一刻も早く医療機関に受診されて、

検査なり検診を受けておくべきだと思います。

 

 

検査の結果、何事も無ければそれで安心ですし、

放置してそれこそ取り返しの付かないことに為るより、

よっぽどマシです。

 
まぁ、それよりも日頃の健康管理、

養生の方が大切ではあるのですが…。

 
漢方(東洋医学)には、「未病」という考え方もあります。

 
それについては、また改めて説明して行きたいと思います。

悟りのような…。

以前、このブログで人生の悩み事って、突き詰めると

「健康」

「経済状態(お金)」

「人間関係」

「自己実現」の

4つに集約されると思います…

みたいなことを書きました。

 
元気に御活躍されている御高齢の方々って、

そんな悩み事なんて全く無関係な事柄なんでしょうか?

 
いや、そうではありません。
苦労話を進んで語られることは、

あまり有りませんが、色々お話を伺っていると、

皆さん大変な人生を送ってこられた方ばかりなんだ…

と気付かされます。

 
戦争体験もそうです。
事業に失敗して、また立て直したり、

信頼していた人に裏切られたり。

 
早くに子供さんを無くされたり、

長年にわたって実家と嫁ぎ先の

両方のご両親に仕えてこられたり。

 
お元気で…と書いていますが、

何処も悪いところが無いわけでは、ありません。

 
内科も、整形も、眼科も、耳鼻科も、歯医者さんも

全部の診察券をお持ちです。
大病を患って入院されたり、手術されたり。

 
でも、お元気で御活躍されている方々は、

決まってこう言われます。

 
「大病をした「おかげ」で、身体に気を付けるようになった。」

 
「何処も悪いところは無いです。一箇所を除いては。」

その一箇所が、胃癌だったり脳梗塞だったりするのですが…。

 

 
そんな色々な体験を通り越してこられた上での、

いや乗り越えてこられたからこそ…。

 
出来事を他人や、周りや環境のせいにしない。
自分自身が創り、生きて来た人生に責任を持つ。

 
そんな境地に達することが、可能になったのでしょう。
(偉そうに言って済みません。)

 
清々しく、潔く。
ある種、「悟り」のような感覚かもしれませんね。

清々しく、潔く。

杏林堂にも、お元気で御活躍されている

御高齢の方々が、数多く来院されています。

 
今迄30年以上施術にたずさわり、

延べにして数万人の方の中には、

スペシャルが付くぐらい健康で、豊かで、

充実した老後?を過されている方も沢山いらっしゃいました。

 
そんな方々と接していて、時々感じることがあります。
それは、その方々の佇まいや雰囲気に

何となく似通った感覚が在る…。ということです。

 
体型や体格はまちまちで、恰幅の良い方も、

また小柄で華奢な方もいらっしゃいます。
性格も、エネルギッシュで豪放磊落な方も、

温厚で物静かな方もおられます。

 
そんな見た目の印象では無い、内面から滲み出るもの…。

 
たいていの場合、豊かになる為の考え方や感じ方には、

共通点があるんじゃないかなぁ。と何となく感じることがあります。

 
それは、
人の悪口をあんまり言われません。
嫌なことや、愚痴をいつまでも
クヨクヨ考えたり、口に出したりしません。

 
楽観的にものごとをとらえます。
あらゆる出来事が、より良くなっていく為に起きていると信じています。

 
周りの人の幸せを心から願っています。
犬や猫、木やお花。
人だけで無く、生き物(いのち)を大切にします。

 
遊び心やユーモア精神があって、

ちょっとお茶目でチャーミングです。

 
堅苦しく無く、人に押し付けたりしません。
人のせいにしたり、周りや環境に文句をつけたりしません。

 
つまり、自分の人生は自分自身が創っている、創ってきたんだ。
という、ある種の「清々しさ、潔さ。」といったものが、
オーラ?となって現れている感じです。

 

私自身も、施術を始めたばかりの若い頃には分からなかった

(というか、考えてもいなかった)ことですが、

この歳になってようやく何となく感じ始めた感覚かもしれません。

 

 

少しづつでも、そんな境地に近づきたいものです。

瞑想か?迷走か?

「心頭滅却すれば火もまた涼し。」
何事も気持ちしだい。
集中してことを行えば、熱さも痛みも何も気にならない。

 
スポーツでも、その一球に集中している時は、

まわりの雑音が聞こえなくなり、

何かに熱中している時は時間も忘れ、

格闘技では、試合中の記憶さえ無い時もあります。

 
そんな集中して「気」を高めることが上手な人と、

逆に気が散漫なタイプの人がいます。
その差はいったい、どんな所からくるのでしょうか?

 
これもかなり以前に、

あるTV番組で変わった実験が行われていました。
それは、集中力が高いタイプの方と、

そうで無いどちらかと言うと落ち着きの無い方?の

2組数名を一室に集めて、静かに目をつぶって瞑想してもらうのです。

 

 

そしてある程度、落ち着いた時点でいろいろな刺激、

例えば、「子供達の話し声。」や「大きな物音。」
「光刺激。」「触れる。」「匂い。」などなどをランダムに与えて、

その際の反応と「脳波」を観察、記録するというものでした。

 
実験前の予想では、集中している組は、

「脳波の変化が少ない」のでは?と考えられていたのですが、

結果は意外なものでした。

 
落ち着きの無いグループは、

刺激によって変化に多少の差があったのですが、

集中組は刺激に関わらず、

その振れ幅がどれも無い組よりも大きいのです。
つまり、刺激(変化)に対して「敏感」なのです。

 
ただ、2組のその後の変化には、大きな違いがありました。
落ち着きの無いグループは、

一旦脳波が乱れると、なかなか収まりません。

 
しかし、集中組の方は大きく振れて、

すぐにまた安定した波形に戻るのでした。
これは、集中していれば「何も感じない。」のでは無くて、

かえって敏感になっているけれども

すぐにその影響下から離れることが出来る。

 
逆に無い組は、外部への反応も内部での対応も

散漫でコントロールが出来にくい状態だと言えます。

 
これは、1つには「情動」が関係していると思われます。

 
この実験結果も非常に興味深いもので、

「風鈴」の場合と同様にさまざまな分野に応用することが可能です。

 
それは…。

 
また、続きます。

風鈴の音色で…

軒先に吊るされた「風鈴」の涼しげな音色。
夏の風物詩です。
と言いたいところですが、最近はちょっと事情が違うようです。

 
一日中、クーラーを作動させている為に、

窓はずっと閉めっぱなしで、
風鈴そのものを目にする機会すら少なくなっています。

 
そんな風鈴に関して、

以前あるTV番組で興味深い実験がありました。
それは、人は「風鈴の音を聞いて本当に涼しくなるのか?」

というものでした。

 
被験者は事前に何の説明も受けずにある一定の室温の中、

目隠しをされた状態で風鈴の音を聞かされます。
そして、サーモスタットで体表面の温度の変化を観察します。

 
その結果は…。

涼しく「感じる」だけで無く、

実際にほとんどの方の体温が低下しました。

 
風鈴が鳴っている状態=風がある→涼しい。
という条件反射みたいなものです。

 
人によっては実際に「頬に風を感じた。」方もあります。
部屋の中は無風状態なのに…。
「風景が目に浮かぶ」人もいました。
考えてみれば、これは凄いことです。

 
ほとんどの方が…ですが、

体温に変化が無かった人もいました。

それは、風鈴をよく知らない?若者や子供達でした。

 
ならば、と言うわけで外国の方に同様の実験をしたら、

案の定?1人も変化が有りませんでした。
それどころか、涼しげなはずの風鈴の音色を、

ただ単なるノイズと感じて却って、

若干体温が上がる人さえいました。

 
番組的には、四季のある日本人の繊細な感覚や情緒という点に

スポットが当てられていましたが、

それだけでは無いと思います。

 
この実験結果には、

治療やある種の能力開発に応用出来るものが内包されている、

と言えます。
それは…。

 
続きます。

防災ハザードマップ

広島市で発生した土砂災害。

本当に何と言って良いのか。
ニュースの映像を見て、言葉を失いました。

 
広島市安佐北区に勉強会などで、

大変お世話になっている先生がいらっしゃるので、

心配していたのですが、

昨晩、「何事も無く、無事です。」という内容の新着ブログがアップされて
ホッと胸をなで下ろしました。
ほんのちょっとの所で、被害の状況には雲泥の差があったようです。

 
今回の災害も、本当に他人事では有りません。
私達の住む芦屋や神戸でも、

同じような地形の所は、たくさん見受けられます。

 
南北に海と山に囲まれた狭い土地に、

住宅がびっしりと建ち並ぶ街並み。
当然、山へ山へと開発の手は拡がって行きます。

 
芦屋川や高座川の上流の「こんな場所に」というところまで、

新しい大きな家やマンションが建っています。

 
今回のように、わずか3時間の間に8月の1ヶ月分の大量の雨が
狭い地域に集中的に降れば、

この辺りも果たして大丈夫なのでしょうか?

考えてしまいます。

 
改めて、最近芦屋市から送られて来た

「防災ハザードマップ」を確認してみました。

 
やはり、市内のかなりの地域が

土砂災害の危険地域や警戒地域に指定されています。
それだけでは無く、43号線より南の地域は、

殆どが「津波」浸水に注意が必要。となっています。

 
何も、むやみやたらに心配ばかりする必要は無いのですが、

もう1度改めて、自分達がどういう所に住んでいるのか

「防災マップ」で確認されては如何でしょうか。

 
避難場所や、そこへ向かう避難経路も

実際に歩いて見るのも、悪くは無いと思います。

 
芦屋市も、1人暮らしのご高齢の方が沢山いらっしゃいます。
小さいお子さんや、障害の在る方も含めて、

いざという時に直ぐに避難が出来る体制を

地域を挙げて日頃から考えていく必要性を

今回の災害で痛感為せられました。

 
家でも、家族と避難方法や連絡方法など、

話し合わなくては!と思います。

お山の管理と治水

阪神間でも、前回の台風11号の接近以降、

お盆休みの間も大量の雨が降り、

各地で甚大な被害が出ています。

 
患者さんの中にも、天の橋立への旅行の帰り、

浸水被害の為にJRが不通で立ち往生されたり、

自宅の真ん前の電柱に落雷があり、

数時間停電を余儀なくされたり等々あったようです。

 
芦屋でも、奥池から有馬温泉に向かうバスが、

土砂崩れの為に不通となっています。

どうやらトンネル部分が崩れたようで、
復旧には年内一杯掛かる見通しのようです。

 
六甲山でも数カ所、

道路が通行止めや片側通行になっている箇所があります。

登山道も崩落して通れない場所があるようで、

こちらも復旧には時間がかかりそうです。

 
昨今の、局所的に大量の雨が集中して降る、

その降り方は異常です。
そろそろ地球規模での対策を

講じなければ行けない時期に来ているのかも知れません。

 
ただその「自然現象」である異常気象と、

河川の氾濫や土砂崩れなどの「自然?災害」は分けて考えるべきです。

 
それは、「お山の管理」と「治水」という

人為的な要因が関係するからです。

 
これまでも、山肌を削ったり木を伐採して開発を進めた結果、

今迄に無かった災害が発生している事は指摘されていました。

 
しかし、それとは逆に手付かずに放置されている里山が

土砂災害を増幅されている原因では?
とも言われ始めています。

 
それは、経済的な理由や人出不足などで、

間伐が十分に行われ無かった為に木が生い茂り、

日光が地面まで届かず、下草が育たないから。

だと言うのです。

 

 

その為に、地面の保水力が乏しく表面の土砂が剥がされて、

一気に斜面を下って行き易くなるんだそうです。

 
六甲山や摩耶山を歩いていると

土砂災害を防ぐための「砂防ダム」を至る所で目にします。

 
しかし、そんな砂防ダムを今回の台風では、

各地で、完全に塞いでしまったり、破壊したり、

またはその上を乗り越えて麓の人里まで土砂が流れこんでいます。

 
里に住む人間が、適正にお山の手入れをし、管理する。
これは中々に難しい問題です。

御身大切に。

家族が毎日食事をしたり、眠ったりする同じスペースに、

仏壇や位牌といった祖先を祀る「祭壇」が在る。という所は、

世界的には、非常に珍しいようです。

 

 

日常の生活の中に、もう既に亡くなった方々が、居宅に存在する。
外国の方から見ると、「とても素晴らしいシステムだ。」と感じられるようです。

 
よく、一番身近なご先祖様は自分達の両親である。と言われたりします。

 
私達は、親や祖先からいろいろなものを受け継いで生きています。
苗字や、家や土地や財産。
仕事であったり、家柄や身分だったり。
長男、養子、嫁ぎ先。
事情はさまざまです。

 
でも、誰でもが確実に受け継いでいるものが有ります。
それは、DNA、遺伝子です。
先人が、生きてきた証し。

記憶としての情報が、

全ての人の肉体に脈々と流れています。

 
そういった意味では、

自分自身の肉体が最も身近なご先祖様。

と言えなくは無いと思います。

 
自分自身の身体の発する「声」に耳を傾けること。
自分自身の身体を大切に生きること。
それが、最も身近な先祖供養に繋がるのでは…。

 
くれぐれも「御身大切に。」

氏神様と先祖供養。

元来、仏教の教えで「先祖供養」を

説いているくだりは、ありません。
勿論、お釈迦様が仏壇や位牌について説法を為れた。

という記録は残されていません。

 
仏教が、インドから大陸を通り
中国、韓国に伝来した際に「儒教」の影響を受け、

先人を大切にする。という思想が加わりました。

 
それが、海を渡って渡来し

元々、日本にあった自然信仰や「氏神信仰」などと融合して

長い年月の間に現在の先祖供養という形に為ったと言われています。

(諸説あるようですが。)

 
氏神様と言えば、

「引っ越しをして来たら、近くの氏神様にご挨拶に出向いた方が良い。」

と言われるように、その地域を守護する神様(神社)と認識されています。

 
しかし、その成り立ちは読んで字の如く、

それぞれの「氏の神様」という意味が有ります。
「蘇我氏(そがうじ)」、「物部氏(もののべうじ)」のように

それぞれの一族を祀る社(やしろ)を

氏神様(神社)と呼ばれていました。

 
その一族を祀る社は、

「鎮守の森」と言われるように、

人々の住む「里」に近い「山」へと向かう森に鎮守していました。

 
元々、日本では「八百万の神(やおよろずのかみ)」と呼ばれるように、

岩や木や、山や滝といった自然の造詣物にも

「神」が宿るといった自然崇拝の信仰がありました。

 
ですから、亡くなった方々も「山」や自然に帰る。

と考えられていました。
山から来て山へと帰る。
それも、自分達の住む「里」から繋がっている「森」へと。

 
亡くなった方々が、身近で直ぐ傍(そば)に居て、

見守ってくれている。
そんな感覚を日本人は、自然と身につけています。

 
そんな感覚が、仏壇や位牌といった

「もの」に繋がっていったのでは?と考えられます。

 
続きます。

台風一過に思う。

久しぶりに大きな台風が兵庫県を通過しました。
毎年毎回、台風情報で凄いのが「来るぞ、来るぞ。」と脅かされながらの肩すかし?

が続いていたので、少々油断していました。
何の備えもしていなかったなぁ。とちょっと反省しています。

 

 

でも、本当にこの阪神間は災害などの少ない良い場所だとつくづく思います。
(阪神大震災を除いては…。)

 
このところの大雨で、停電や浸水、

土砂災害など各地で被害が出ています。
被害に遭われました皆様方には、心よりお見舞い申し上げます。

 
夏休みに入ってお盆前のこの時期に

これだけ雨が続くことは、例年では考えられません。
温暖化の影響なのか、海水温の上昇により、

台風がより強大となってゆっくりゆっくり進む為に、

その被害がより深刻なものと為ってしまっています。
まるで地球全体が「湿熱」という症状に罹患してしまったようです。

 
人間ならば、さしずめ「脾胃」を整えて、

「腎」で水分代謝のバランスを調整するのですが、

地球全体ではどうすれば良いのでしょか?

 
人間の場合は、熱と水分の排出法(出入り)は、2つ有ります。
それは、肺と大腸(小腸)です。

つまり、「呼吸」と「消化」(排便、(排尿))です。

 

 
地球自身も呼吸し、地球上で起こった事柄を消化(浄化)しています。
でも、近年ではその浄化能力をはるかに凌ぐ

「湿熱」が排出されているのかもしれません。
まず、その量自体を制限する必要が有ります。

 
その上で、水分調整。人間も地球も2/3が水分です。
多すぎても、少なすぎても良くありません。

 
では、海水量が増え過ぎない為には?

それは陸地の保全に掛っています。

陸地の保全には、何よりも森林の保全が重要です。
地球全体の呼吸という問題も含めて、

山や森林の大切さというものをもう一度見直す必要性があると思います。

 
地球の健康の為に私達が出来ることは、

まだまだ沢山あると思います。

 
何せ、地球の健康あっての私達人間の健康ですから。