日別アーカイブ: 2015年3月31日

アタマで考える。カラダで感じる。

一つの仮説として読んで下さい。

 
「脳」は、頭蓋骨の中に収まっているもの…だけではありません。
神経の末端までが「脳」です。

 
毛細血管よりも細かく、身体の隅々まで網羅し、

巡っている神経の先端までを全部引っくるめて、

そのすべてが「脳」だと考えます。

 
頭の部分だけが脳ではありません。
脳を身体論的に考えて初めて、

「にんげんのぜんぶ」が理解できます。

 

 

自分自身を正しく識ること…を意識すると

「人」は、往々にして「ココロ」と「カラダ」を

別々のものとして捉える傾向があります。

 
あるいは、自分の内面(精神性)に目を向けることに

専心している場合が多いようにも見受けられます。

 

 

容れ物である、自分の身体のことを

きちんと理解している人は案外少ないように思います。

 

 
私たちは、心の声(欲望、欲求)には正直ですが、

身体の発する言葉は無視しがちです。

 

 

何を食べたら良いのか?という場合でも、
「アタマ」はやれカロリーがどうの、栄養素がどうのと、

様々な知識や情報をもとに考えます。

 

 

また「ココロ」は、アルコールや甘い物、

美味しくて食欲を満たす「糖や脂肪」など

己の欲望を求めます。

 

 

では、肝心の「カラダ」は実際どうして欲しかったのでしょうか?

 
「玄米菜食」という食事法があります。
健康の為に、或いはベジタリアンで肉食をしないから…

などの理由で行う方が多いようです。

 
でも、基本は「今、自分が食べたいと思うものを食べる。」
だと思います。

 
その上で、たまたま玄米菜食を食べたかった…

だから食べた、というのが、理想的です。

 
つまり、アタマとココロとカラダが発する言葉が一致している…

ということになります。

 
これは食事だけのことだけでは無くて、

社会生活を送る上で、

睡眠や運動、仕事や人間関係などでもそうです。

 

 

アタマで考える。
カラダで感じる。

 
自分自身を正しく識ることが出来れば、

自律神経が失調することは、

本来は有り得ないはず…です。

 
続きます。