日別アーカイブ: 2014年6月30日

それぞれの表現。

前回の続きです。
何度か寄席に足を運んでいると、

結構同じ「演目」にぶつかることが有ります。

同日、出演者同志が被る…。何てことはさすがに有りませんが、

昨晩、新宿で聞いたお話しを次の朝、また上野で…。

 

 

これはデジャヴュなのか?

そんな訳は有りません。
演者が変われば、同じお話しでも、

まるで違った印象になります。

 
まずは、話の取っ掛かり「まくら」。

どんな内容のものを持って来るのか?

「掴み」はOKなのか?

話家さんの個性と力量が如実に表れます。

 
それと登場人物の設定、舞台となる土地や場所の

説明の仕方も各々、特徴があります。

 

 

あと、話家さんによって声の張り方や、

高低、口調なんかも十人十色。

表情、しぐさ、間の取り方も各人各様です。

なんと最後の「落ち」までが、まちまち。(ウソです。)

 
師匠から教わった「古典」としてのお話しは同じ一つのもの。
でも、「演目」として高座で演じられるのは、

その「演者」の数だけ存在しています。

その「違い」を体感することも楽しみの一つと言えます。

 

その違いを個性というのか、「味」と呼ぶべきか?
まあ、「味」が出るにはもう少しの熟成期間が必要かもしれませんが…。
同じお話しでも、表現方法はさまざまです。

 
病気も同じことです。

身体の状態の感じ方は、人それぞれ。
また、症状の訴え方も各人各様です。
何をストレスと感じるのか?
また、痛みと感じるのか?

 

 

その患者さんの身体が訴えかける「症状」という

お話しの主題「演目」は何なのか?

 
その方の背景に在る生活環境や人間関係、

その他諸々の条件も踏まえながら、

その「それぞれの表現」に謙虚に耳を傾ける必要性を痛感する…

今日この頃です。