「気感」は情報の翻訳です。

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気感は、無くても良いけれど有った方が「便利」です。
感じ無いよりも、感じた方が。
見えないよりも、見えた方が。

 
それは、圧倒的に「情報量」が増えるからです。
暗闇の中の手探り状態よりも、

電気を点けて明るくした方が、見つけやすいのと同じです。

 
では、どうやって「電気を点ける」と良いのでしょうか?
それは、自分で積極的にスイッチを入れることです。

 
自分から感じようとしないと、何も感じません。
見ようとしないと、見えてきません。

 
脳に質問をするのです。
何となく見えた時には、イメージの中でくっきりと為せて、

それをもう1度、目の前に見ることです。

 

 
ただ、勝手な先入観が邪魔をすることが、多々あります。
「こんな感じ。」「こう見える。」という思いが強すぎると、

いわゆる盲点を作ります。

 
感じたものに変な解釈を加えたり、

「気のせい」などと無駄な思考をしないことです。
感じたことが、正しいかどうか「逡巡」する必要はありません。

 
私が感じたものが、感じたもの…なのです。
他の人と比べてみて、同じでも違っていても、

何の問題もありません。

 
何故なら、「気感は情報の翻訳」だからです。
それは、気感のもととなるのが「差異」で、

情報のもととなるのが「記憶」だからです。

 
AとBの差。
自分と他者との差。
多ければ、多いほど感じやすく為ります。
誰でも自分自身の事が、1番わかり難いものです。

それは、「差異」が無いからです。

 

 
記憶と情動と5感が結びついて、

脳の錯覚と情報交換が起きる。
つまり、感じ方や見え方は人それぞれ。

 
記憶という情報(インプット)も、

それを翻訳する脳という機器(アウトプット)も、

それぞれ固有のものなので、

違って当然のことなのです。

他人の感覚は気にしないことです。

 
気のせいかな?という微妙な感覚を

これが「気感」だと確信して、

繰り返し意識に上げること。
これが、大切です。

 
あと1つ、もっと大切なことがあります。
それは…。

 
また、続きます。

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