神鏡(かがみ)

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<皇大神社 樹齢二千年の龍灯の杉>

 

神社にお詣りに行くと、神殿の中央正面に神鏡(かがみ)が据えらているのをよく見ます。

大きな社や、扉が閉められていて中を伺い知る事ができない場合も有りますが、

多くの神社は鏡そのものが御神体と為っています。
神道の場合は、仏教に置ける仏像の様な偶像(シンボル)は、存在しません。
唯一、其れらしきものがあるとすれば、それは神鏡(かがみ)です。
では何故、鏡なのでしょうか?

 
ちょっと思い浮かべてみて下さい。
私たちが正面にある鏡に向かって拝んでいる姿を。
神様に手を合わせているつもりが、実は鏡に映っている自分自身を拝んでいるのです。
鏡という文字を一文字ずつ、見て行くと、「か 我 み」となります。

つまり、「神(かみ)」の中に「我(われ)」がある。
我の中に神がまします。
とも言えますし、自分は大宇宙を構成する一部である。

また自分の中に小宇宙が存在する。
とも言えるかも知れません。

 
神鏡が御神体であるのは、そう言う意味合いが有るのでは?と思います。
鏡に映る自分自身の中に本来有る神性なる部分に手を合わせる。
これが、本当の意味での信仰なのではないでしょうか?

 
施術に於いても然りで、患者さんの持っている自然治癒力を信じて、

本来有るその方の最高の状態を引き出す(その姿をイメージする)。
これが、本当の意味での治療なんだと思います。

 
もし、神社に行って手を合わせる機会があれば、

神鏡に映る自分自身の姿を心静かにじっと見つめてみて下さい。

もしかしたら、本来有るべき我(われ)の素形(すがた)が

ぼんやりと写しだされる事がある?かも知れません。

 
※あくまでも精神的なお話であって、

宗教云々は関係有りません。あしからず。

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